タイトル画像:核実験からマーシャル諸島の人が移動させられた地図
アレレ博物館見学、ローラ地区観光
朝食はマーシャル諸島の郷土料理らしい「ロコモコ丼」。
目玉焼きの下にはでかいハンバーグ、白いソースは少し酸っぱかった。
味付けは薄めだったので醤油をかけた。
タクシーでアレレ博物館に行った。
- 日本が寄贈したバス停
- 裁判所
アレレ博物館&図書館
あまり博物館とかに興味はない方だが、ここまで遠くに来ると非常に興味深かった。
- 外観
- 入り口
中に入ると右に小さいドアがあった。
民族・文化・伝統・特産品などの展示
- 展示コーナー
- 魚とり網
- トライバルタトゥーの種類
- ピアッシングの師匠
- アミモノ
- 廊下に展示されている戦艦長門の原寸原画仕上げ複製画
マーシャル諸島の伝統的な「アミモノ」という、葉とかで編んだ特産品。
戦艦長門はビキニ環礁の核実験に使用された。
山口県の住吉神社に原画が展示されている。
海図・天体図・武器などの展示
- 船の模型
- 環礁の航空写真
- 竹製海図
- 貝の意味は「島の位置」
- 武器
- 貝の刃が付いた木製剣
マーシャル諸島の家に代々伝わる竹製海図は、作った人しか見方が分からないそうだ。
剣の両側には、貝でできた鋭い刃が付いている。
アメリカによる核実験の展示
- 核実験の展示写真
- 医師の診察を受ける子供
- 住民のインタビュー
- 核実験のキノコ雲
キノコ雲:上2写真Enewetak環礁、下2写真Bikini環礁
- ロバート医師による喉の診察を受ける若い女性
- ビキニ環礁を去る前に墓地で祈る最後の人々
マーシャル諸島でアメリカが行った爆発の表。
左からNO、日付、名前、行われた環礁名、タイプ(空中、水中、タワー、水面、はしけ船)、核出力。
被爆国の人間としては、核実験の展示はじっくり見学できた。
図書館
- 利用者は誰もおらんかった
- 博物館は一部工事中
- サンゴ砂
博物館の2階にある。
教会とモスク
- カトリック教会
- モスク
教会の前にフレームツリーの大木がある。
マーケット
- 果物
- クーラーボックス
- 強烈な模様の魚
- でかい魚
スーパーの前にマーケットがあった。
鮮魚は大型クーラーボックスの中に入っている。
魚を見ていると、宿にチェックインしたときのスタッフと久しぶりに会った。
今日は、港で働いているという。
「すいません、僕が忙しいんで、アルノにいけなくて」
「え?謝る必要は無い、代わりにエネコ島に行ったよ」
なぜ謝る?
彼は、自分が多忙で他の島民のフェリーに聞けなかったせいで、ワシがアルノに行かなかったと思っていたので謝ったのだった。
帰りのフェリーが確実ではないのでアルノではなくエネコ島に行った、そこで楽しめたことを説明すると、彼は喜んだ。
驚いた。
そして、感動した。
彼がそのことを、少し話しただけのただの客のことを、ずっと気にかけてくれていたことを。
建物・ビキニ環礁市庁舎
- マジュロではめずらしい高さ
- 台湾の会社
- マジュロの街
- ビキニ環礁市庁舎
ビキニ環礁市庁舎があるのは、マーシャル諸島の人が賠償金を貰っているからである。
と、ポナペで会った人から聞いた。
ローラ地区
RREホテル駐車場から乗り合いタクシー:3USD
乗り場には案内板などは無く分かりにくかったが、親切な婆ちゃん達に教えてもらった。
両脇に海が見えるラグーンロードを通り、空港を通り、先端のローラに到着。
- 巨大な木の根
- 誰もおらん
- カラフルな民家
- 海が見える
- 教会
乗り合いタクシーを降りた。
ここが一体どこか全くわからんが、ローラ・ビーチの方角に歩く。
アイス屋を過ぎると、誰もおらん。
ローラ・ビーチ
すげー風が強い。
- 入り口
- 整備中
- ビーチは荒れている
- 売店は閉店
- 東屋
- 墓の跡?
- 木が侵食
海は美しく透明度も高そうで、シュノーケリング、海水浴スポットらしい。今日は海は荒れている。
聖恩紀念碑
- 晴れてきた
- 聖恩紀念碑
聖恩紀念碑は大正時代に台風被害を受けて建立された。
ローラ地区東側を歩く
- 教会
- 運動場
民家が並び、学校もあって住民もいる。
- 漂流したゴミ
- 意味不明な看板が並んでいる
- 日本が寄贈した電灯
- 工事中
マジュロの街には屋根付きバス停(ほとんどのバス停が寄贈かとおもう)、電灯など日本からの寄贈品が多く見られた。
台湾からも多かった。
- 古い教会の内部
新しい教会の横に古い教会が並ぶ。
ここで、ローラの観光は終わりやな。
ちょうど乗り合いタクシーが来たのでダウンタウンに戻った。
ラグーンロード
道路1本のみ、両側に海が見える珍しい光景。
Happy Hands
- 快く迎えてくれる
- 細かい
RREホテルの敷地内にある、アミモノの土産屋。
竹と貝の海図が欲しかったが、でかくてリュックに入らんので諦めた。
マジュロ最後の日
- パシフィックブルーウメエ!
- 大型船が停泊
スーパーでビールを買い、いつもの広場で飲んだ。
東屋では、人々がチェスをしていた。
今日で最後か・・・
ネットが無い日も、最後やなあ。
短いような、濃い滞在であった。
本当に来てよかった、としか言えん。
空港に行く
- 野菜オムレツ定食
- マジュロの街
今朝のコーヒーは滞在中で一番濃く美味かった。
空港までオーナーが送ってくれた。
彼は、フィジー出身だった。
顔がマーシャルの人と違う気がしていたし、背も高かった。
車内でずっと話していた。
レストランの名前の由来「フレームツリー」、ノニの効果、マーシャルの植物について。
スーパーで分かったが、マーシャル諸島の野菜はほとんどが輸入で高価である。
ローラ地区の一部で野菜を栽培している。
土壌がサンゴ砂なので水を含まないため、野菜が育たないのだ。
マーシャルの人々は、給料が入るとほとんど飲み代に消えてしまう。
中華系は台湾だけでなく、中国本土からも来ている、韓国からも来ている。
華僑が大型スーパーマーケットを経営するので、現地人のスモールストアに誰も行かなくなって問題だ。
最後は、アメリカの核実験の話題で盛り上がった。
オーナーは、ここに来るまで、知らなかった。
初めてビデオを見たときに、かなりショックを受けたという。
もっとオーナーと話したかったが、空港に到着した。
カウンター前で握手をした。
また来てください、また会いましょう、と。